「イヤだあ! ダメ、ダメ、ダメだって。 出ませんよ、絶対出ませんから!」
あまりに大きな悲鳴だった。しかも若い男の。
そこは、男の悲鳴にはあまりのも似合わない場所だった。だって、総合格闘技のオープントーナメント会場だったのだから。
満員の観客は、驚いて悲鳴の主を探した。
選手入場口に、白い空手着にグローブをつけた若者が、数人のスタッフに囲まれて入場してきた。というより引っぱり出されてきた。その男の悲鳴だった。
まるで、
泣き叫んであばれる子供を、母親や看護婦たちが無理やり引きずっていく。
その先には、注射器を持った医者が待ち構えている。そんな風景だった。
「約束が違うじゃないですか、だめですよ、ボクは怖いんですったら」
どうやら、選手の一人が出場を嫌がっているようだ。
白い空手着の男を引っ張っているスタッフの中に若い女がいた。
「しょうがないヨ。出る人が来なかった。だから、五郎ちゃんが出るしかなヨ」
女の声は集音マイクで観客に丸聞こえだ。
強いコリヤなまりだった。しかし、その一言で白い空手着は抵抗するのを止めて、ハーッとあきらめたようなため息をついた。
「何だあのヘタレ?」
「ゴロウちゃんって? ここはコンサート会場かよ?」
観客席に不思議な3人組がいた。
1人は、赤髪のツーブロックヤンキー、学生風の筋肉質の男で通称テッキ。
もう一人はマスクにサングラスの中年大男で表情はまったくわからない。バラバラの髪を肩まで伸ばして、怪物ぜんとしている。ガンカク。
そのテッキとガンカクにまるでガードされているかように座っているのは、金髪で唇の真っ赤な女だった。羽織っているコートは、その唇のように真っ赤に染められていた。ヤンキー女はジオン。
この3人の姿はあまりに異様で、会場が満員だったにもかかわらず3人の周りだけは観客が遠巻きにしていた。
テッキが会場を見ながら
「あれで出場選手かよ? 情けねえ」
ガンカク「なんであんなビビリがこんなとこ来てんだ? 素人さんはお呼びじゃないだろうに」
ジオン「そういうなって、ここは、素人歓迎のオープントーナメント会場なんだよ。あんなのでも出場権ってのがあるんだろう」
テッキ「ここは、くじ引きで当選すれば出場できるんですよ」
ガンカク「実力ないクセに口だけは達者な空手オタクが張り切って出てきたんじゃないですかね」
ジオン「出てきたはいいけど周りの、周りの雰囲気にビビっちまったんだろうよ。まぁあのヘタレにはいいクスリになったんじゃないのかい?」
「そんなところでしょうね」
テッキやガンカクが下手に答えているところを見ると、ジオンと言う女はリーダー格なのだろう。
テッキが試合会場を指さして。
「あのヘタレ野郎、どうやらヤル気になったみたいじゃん」
確かにあの白い空手着が、青い空手着の黒帯の選手と対峙していた。白い空手着は、帯まで白い。
ガンカク「白帯かよ、怖がるわけだ。あのヘタレの所属道場たいしたことないんだろうな。あんな入門したての新人みたいな選手出すくらいじゃ」
審判の「はじめ!」の合図で試合が始まった。
青い空手着は、目つきも鋭く自信に満ちていた。それに比べて白空手着は、腰が引けオドオドしていて、まともに相手の顔を見ることさえできない。
青い空手着は両手のグローブをグッと構え、白い空手着を睨みつけた。白い空手着(以下白)は、ぼーっと立ったままだ。棒立ちで、グローブもだらんと下がっている。ありえない。スキだらけだ。
「キェーッ!」
青い空手着(以下青)が、裂帛の気合で飛びこんできた。白が逃げ腰でタタッと下がった。青が追い詰める。白が止まった瞬間青がパパッと連続突きを放った。白は防戦一方に見えた。しかし、青は一瞬攻撃を止めた。
青が攻撃を止めたとき、白は棒立ちではなく、前屈で立っていた。
しかし、それは一瞬のことで白はふたたび棒立ちに戻った。
テッキが大声で
「ヤレー! なんで手止めてんだよ? そんなヘタレ殺しちまえ!」
確かに青の方が完全に優勢なのに一瞬攻撃を止め、にらみ合っている。
でも格闘技の試合においては間合いを図ったり、相手の呼吸を読んだり、そんな事はよくあることだ。
再び青がグローブを構えた。
白はさっきと同じ全く棒立ちである。
「オース!」
気合とともに青の右足が白の顔面に回し蹴りを喰らわせた。速い。
「グェ!」
つぶれたカエルのような声だった。
白は青の攻撃を交わしきれず、顔面に回し蹴りをまともに受け、倒れ込んでしまった。
審判が青の勝利を告げた。白は立ち上がれなかった。どうやら気を失っているようだ。
テッキ「あアあ、いわんこっちゃねーよ、情けないったらないぜ」
さっきのスタッフたちが倒れた白に駆け寄った。
白はタンカで場外に運び出されるようだ。
「ダイジョブ。よくやった」
それは先程の女性スタッフのコリヤ風の声だった。おそらく同じ道場の仲間なのだろう。
テッキはふっと鼻で笑い。女の声色を真似た。
「ダイジョブ、よくやったわ?って、逃げまくったあげく蹴飛ばされてノックアウトされただけじゃないか?」
ガンカク「誰でも出場大歓迎のオープントーナメントったって、あんな素人じゃあな‥」
ガンカクの言葉をさえぎって後ろから声がした。
声「ほんまモンのシロウトは、お前たちの方だよ」